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福岡地方裁判所大牟田支部 昭和43年(ワ)100号 判決

原告

小堺博子

ほか三名

被告

坂井七郎

主文

一、被告は原告らに対しそれぞれ金五〇万一、五四五円及びこれらに対する昭和四三年七月一七日から右支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らの、その余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は三分し、その一を原告らの連帯負担とし、その余を被告の負担とする。

四、この判決は、原告勝訴の部分にかぎり仮りに執行することができる。ただし、被告が原告らに対しそれぞれ金一五万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

第一、原告らは、「被告は原告小堺博子に対し金八九万三、三〇〇円、原告小堺彰、同小堺芳樹、同小堺利彦に対しそれぞれ金六九万三、三〇〇円、及びこれらに対する本訴状送達の日の翌日から右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決と仮執行の宣言を求め、被告は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」旨の判決と、被告敗訴の場合は保証を条件とする仮執行免脱の宣言を求めた。

第二、原告らの請求原因

一、原告らの母小堺キクは昭和四二年七月二九日午後六時四五分頃、大牟田市馬込町二丁目から一部橋の方向に向け道路左側を自転車にて進行中、馬込町二丁目六〇番地先道路上において無免許者堀本孝弘の運転する普通貨物自動車(福岡しす二八五号、以下本件事故車という)に衝突されて附近路上に転倒し、よつて頭蓋底骨折(頭蓋内出血)の傷害を受け永田整形外科病院に入院したが翌八月三日死亡した。

二、被告は本件事故車の所有者であるところ、前項のとおり、本件事故車の運行により小堺キクの生命が侵害されたのであるから、被告は自己のため本件事故車を運行の用に供した者として自賠法第三条により、原告らに対し左記の損害をそれぞれ賠償すべきである。

三、本件事故の発生によつて小堺キク及び原告らの蒙つた損害は次のとおりである。

(一)  小堺キクの得べかりし利益の喪失による損害金六七万三、二〇〇円

同女は原告ら住所地において駄菓子及び煙草商を営むかたわら三反程度の畑を耕作していた者であるが、大正五年一〇月五日生れの健康な女子で死亡当時満五〇歳であり、本件事故にあわなければなお二〇年間は右煙草商を営むことができたと考えられる。

ところで同女の煙草店経営による所得を計算するに、昭和四一年四月一日から昭和四二年七月三一日までの一六ヵ月間の煙草販売高は合計金一四九万六、七五〇円で、平均月間販売高は金九万三、五〇〇円となるが、煙草販売の利潤は販売高の一〇パーセントであるので右期間中の平均利潤は金九、三五〇円となり、年間利潤は金一一万二、二〇〇円に達していたこととなる。

他方、同女は事故当時、右収入を得るために収入の四〇パーセントの生活費を要したとしても一ヵ月金三、七四〇円、年間金四万四、八八〇円の支出となるから、同女の年間純益額は金六万七、三〇〇円となり、同女は将来二〇年間にわたり毎年右と同額の収益をあげることができたはずとなる。

そこで、これを本件事故発生時における一時払金額に換算するためホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して計算すると金六七万三、二〇〇円となる。

(二)  原告らの相続

原告らはいずれも小堺キクの子で相続人であるから、同女の被告に対する金六七万三、二〇〇円の損害賠償請求権の四分の一である金一六万八、三〇〇円の請求権を各相続した。

(三)  原告らの慰藉料

原告らの父小堺力は中学校に勤務していたが昭和四一年三月一一日死亡したので原告らは母と貧しいながらも親子円満な生活をしていたところ、本件事故による母の不慮の死によつてこれを破壊されてしまつた。原告博子は福岡県立大牟田南高等学校卒業後、父と同じ途を歩むべく千葉県袖ヶ浦市にある三育学院教育課程二年生に在学していたが、本件事故により母が死亡したので弟たちの面倒をみなくてはならなくなつて右学院を退学して大牟田市に帰つたため折角の将来も挫折してしまつた。これらの事情を考慮すると、その精神的苦痛は大きく、その慰藉料額は金一〇七万五、〇〇〇円が相当である。その余の原告らも父死亡後一年足らずして母を本件事故で失つて、その精神的苦痛は大きく、その慰藉料額は各金八七万五、〇〇〇円が相当である。

ところが、原告らは本件事故車にかかる自動車損害賠償責任保険により保険金一五〇万円を受領したので、原告らは右金員を平等に分割し、金三七万五、〇〇〇円宛を各自、自己の前項の慰藉料精求権に充当した。

(四)  弁護士報酬

本件事故につき被告に誠意がないので、原告らは弁護士田中光士に対し本訴の提起を依頼し、着手金としてそれぞれ金二万五、〇〇〇円宛、合計金一〇万円を支払つたが、損害賠償請求訴訟は原告らが自らなすのは困難であり、被告において賠償責任を否定している以上、原告らの訴訟による請求は被告の予見しうるところのものである。

四、かくして被告に対し原告博子は金八九万三、三〇〇円、その余の原告らはそれぞれ金六九万三、三〇〇円及びこれらに対する本件事故発生の日以後の日である本訴状送達の日の翌日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

五、仮りに被告に運行供用者としての責任が認められないとしても民法第七一五条による使用者としての責任がある。すなわち、

被告の雇用する自動車運転手森国弘は本件事故車に友人堀本孝弘を同乗させて運転し被告の商品を運搬しての帰途大牟田市馬込町二丁目先道路附近に差しかかつた際、自宅に弁当箱を置くため右事故車を離れたが、そのような場合、同人は自己が留守中に他人が車を運転し不慮の事故を惹起することがないよう右事故車の点火装置の鍵を外して所持しておくべき注意義務があつたところこれを怠り、右の鍵を差し込んだまゝ本件事故車を離れたため、同乗中の無免許者堀本は鍵がそのまゝとなつているのを奇貨として右事故車を運転し、よつて本件事故を発生せしめるにいたつた。

よつて被告は森国弘の雇用者として民法第七一五条の責任がある。

第三、被告の答弁

一、請求原因第一項記載の事実は認める。

二、同第二項記載の事実中、本件事故車が被告の所有であることは認めるが、被告が本件事故当時、本件事故車の運行供用者であつたとの点は争う。すなわち、

自賠法第三条にいう「自己のために自動車を運行の用に供する者」とは、抽象的一般的に当該自動車を自己のために運行の用に供している地位にあるものをいうのではなく、事故発生原因となつた運行が自己のためになされている者をいうと解すべきである。しかるに、本件事故は、被告としては運転者以外の者が本件事故車の運転をなすことはこれを厳禁していたのにも拘らず、被告と全く何らの関係もなく面識もない堀本孝弘が、運転者が自宅附近に停車して自らの弁当箱を自宅に届けるため下車した約二分間の不在時に乗じ、不法にも無免許者でありながら、勝手に本件事故車を運転し、本件事故を惹起したものであるから、該事故の原因となつた運行については、被告に責任はないのである。

三、同第三項記載の事実中、小堺キクが大正五年一〇月五日生れであること及び原告らが同女の相続人であることは、いずれも認めるが、その余の事実は知らない。

四、同第四項記載の主張は争う。

五、同第五項記載の事実中、本件事故発生原因、経過は認めるが、その余の事実は否認する。すなわち、

既述のように、本件事故は被告とは何ら関係を持たない者が当該車両の運転者の不在に乗じ勝手に運転して惹起したものであるところ、元来、過失による不法行為において要求される注意義務は行政的な取締法規とは必ずしも一致しないが、この点について取締法規をみるに、車を離れる際の措置として、道路交通法第七一条五号は、「車両等を離れるときは、その原動機をとめ、完全にブレーキをかける等当該車両等が停止の状態を保つため必要な措置を講ずること」を運転者の遵守事項とし、スイッチの鍵をはずすことは要求していない。

ところが、改正前の道路交通取締法施行令第三五条は、「繰縦者が車馬を離れる場合においては、自動車又は原動機付自転車にあつてはその機関をとめ、点火装置を切り、点火装置の鍵をはずし去り、完全に制動装置を施し(中略)その他車馬が停止の状態を保つに必要な措置を講じなければならない。」とし、点火装置の鍵をはずすことを要求していた。

ところで、自動車運転者としては、駐車した車を離れるときはその車が停止の状態を保つようにし、車が自ら動き出して、そのため不測の結果を起すことがないように原動機をとめ、完全にブレーキをかける等の措置を講ずる注意義務はあるが、駐車中の車を他人が勝手に動かすことのないよう点火装置の鍵をはずす必要はないと解するのが相当であり、前記法令もこの趣旨から改められたものと考えられるのである。従つて、本件において、その運転者である森国弘には原告主張のような注意義務違反はなく、本件事故は同人の注意義務違反の結果とはいえないものといわなくてはならない。

六、仮りに森国弘の措置が注意義務に違反していたとしても、右違反行為と本件事故との間には相当因果関係がない。

(証拠)〔略〕

理由

一、請求原因第一項記載の事実(本件事故車による事故の発生及びこれによる小堺キクの受傷死亡)は当事者間に争いがない。

二、しかして本件事故車が被告の所有であつたことも当事者間に争いがなく、右争いのない事実によれば、被告は本件事故車を自己のため運行の用に供しうべき地位にあつたということができる。

三、しかるに被告は、堀本孝弘による本件事故車の運行は被告の意に反してなされた運転であつて、本件事故当時においては被告は本件事故車の運行供用者たる地位を有していなかつた旨主張するので判断する。

〔証拠略〕によれば、森国弘は被告が経営する坂井建材店に昭和四一年五月から雇用され、五ヵ月程して被告店の自動車運転業務に従事することとなつた者であるが、本件事故を起した堀本孝弘とは昭和四一年頃、ダンスホールで顔見知りとなり、道で会えば挨拶する程度の仲であつた。ところで、昭和四二年七月二九日、森国弘は被告店の製品である万徳風呂と称する浴槽を熊本県本渡市まで本件事故車で運搬することとなつていたが、前日、バスの中で会つた堀本孝弘にこのことを話したところ同人から天草五橋を見たいので一緒に連れて行つてくれと頼まれ、森国弘は、かねて被告から自動車運転業務に従事中は、他人を便乗させてはいけないと禁じられていたけれども右申入れを承諾し、翌日、大牟田市内の一部橋で同人を待たせることとした。

事故当日は被告店を午前八時頃出発し、一部橋で堀本孝弘を本件事故車の運転席に同乗させ、五時間半程かかつて本渡市に到達して浴槽の配達をすませ帰途についたものであるが、途中、森国弘は自宅に空弁当箱を置くため寄り道しようと考え、同日午後六時四〇分頃、自宅附近の大牟田市馬込町一丁目を通過し同所附近で本件事故車を一時停車せしめ、同乗中の堀本孝弘にその旨を告げたうえ約四〇メートル近く離れた同所一六番地の自宅に立寄るべく右車を離れたが、その際、本件事故車のサイドブレーキをかけエンヂンを停めたけれども点火装置の鍵は差し込んだまゝとした。ところが、同人が本件事故車を離れた僅かの時間に、右車の運転席に残つていた堀本孝弘は、本件事故車が森国弘の自宅附近に寄り道したことから車の向きが坂井建材店とは逆の方向となつているためこれが向きを戻そうとして同人の許しも得ず、かつ、自動車運転の免許も有しなかつたのに点火装置の鍵を使つて本件事故車を作動させて運転を開始し本件事故車をUターンさせたが、その際、同人は小堺キクの自転車に本件事故車を追突させ、本件事故を惹起した。被告は当日、本件事故発生の知らせを受けるまで、堀本孝弘が本件事故車に便乗して天草まで行つたことや森国弘と堀本孝弘との仲など一切知らなかつた。

以上の事実が認められ、右認定の事実によれば、自動車運転業務に従事中の森国弘に対する被告の監督は必ずしも十分ではなかつたというべきであつて、堀本孝弘の本件事故車の運転も、外見上は被告の暗黙の許容下にあつたと見られても仕方がないが、一歩を譲つて、被告の森国弘に対する右監督に欠けたところはなかつたと仮定してみても、森国弘が本件事故車の運転業務に従事中、一〇時間以上にもわたつて堀本孝弘は右事故車に同乗し森国弘と行動を共にしていたというのであるから、自宅に空弁当箱を置くため本件事故車を離れるの間、森国弘には本件事故車の保管監守方を堀本孝弘に委ねる意思があつたと見られても仕方がなく、単なる自動車泥棒などが道に車を持出し運行したような場合と同様に本件を考えるわけにはいかないのであるから、被告の主張するとおり、本件事故時における本件事故車の運行が主観的には被告の意図するところと異なつていたとしても、そのことから直ちに被告の有する本件事故車に対する一般的な支配力が堀本孝弘によつて排除されたものとは認められない。

よつて被告の主張は採用できない。

四、そこで、本件事故によつて小堺キク及び原告らが蒙つた損害及びその額について判断する。

(一)  小堺キクの得べかりし利益の喪失による損害

小堺キクが大正五年一〇月五日生れであることは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕を総合すれば、小堺キクは本件事故当時は満五〇歳で、原告らの肩書住所地において駄菓子及び煙草屋を営むかたわら三反程度の田を耕作していたが、満五〇歳の健康状態の普通の女子の平均余命年数が第一一回生命表によると二六・〇三年であることを考慮すると、同女は本件事故に遭遇しなければ以後さらに少なくとも原告らの主張する二〇年間は煙草屋を経営していくことが可能であり、その間、一ヵ年に金一〇万一、五四五円の収入は煙草屋の経営だけであげえたであろうことが推認でき、本件事故当時同女が自己個人の生活費として幾許を要していたかを認むべき証拠はないが、経験則によれば、これを多めに見て収入額の六〇%程度を費消していたと認められるから、結局において同女の年間純収益額は金四万六一八円であつたと認めることができる。

しかして右二〇年間の年金的利益の現在価格(本件事故の日の翌日における一時払額。なお本件事故発生の日と同女の死亡日との間には六日余りの期間があるが、右期間中同女が就労不可能であつたことは弁論の全趣旨により明らかである)を法定利率年五分のホフマン式計算法により中間利息を控除して計算すれば、金四〇万六、一八〇円となる。

(二)  原告らの相続

原告らがいずれも小堺キクの子で相続人であることは当事者間に争いないから、原告らは同女の被告に対する前記金四〇万六、一八〇円の損害賠償請求権の四分の一である金一〇万一五四五円の請求権をそれぞれ相続したことは明らかである。

(三)  原告らの慰藉料

〔証拠略〕によれば、原告小堺博子は昭和一七年四月一日生れ、原告小堺彰は昭和一九年一一月二二日生れ、原告小堺芳樹は昭和二三年三月二六日生れ、原告小堺利彦は昭和二八年三月二五日生れでいずれも弱年のところ、昭和四一年三月一一日父小堺力と死別し、昭和四二年八月三日さらにまた母小堺キクと本件事故により死別するのやむなきにいたつたものであることが認められ、右事実によれば、原告らにおいて本件事故以来、多大な精神的苦痛を受け、かつ、受け続けるであろうことは容易に推測されるところであり、これに諸般の事情を斟酌すれば、原告らに対する慰藉料の額は、それぞれ金七五万円をもつて相当と認める(本件において原告らの慰藉料額に差等を設けることは相当でない)。

ところで、原告らは本件事故車にかかる自賠責任保険により保険金一五〇万円を受領し、これを均等分割のうえ金三七万五、〇〇〇円宛を各自、自己の右慰藉料請求権に充当したと自陳するから、これを控除すれば、原告らはそれぞれ被告に対し金三七万五、〇〇〇円の慰藉料請求権を有することとなる。

(四)  弁護士報酬

〔証拠略〕によれば、原告らが本件訴訟提起を原告ら訴訟代理人田中光士に委任し、着手手数料として金一〇万円を支払つていることが認められるから原告らはそれぞれ被告に対し、金二万五、〇〇〇円宛の損害賠償を求めることができる。

五、以上のとおりであるから、本訴請求は被告に対し、原告らがそれぞれ前記四の(二)の金一〇万一、五四五円、(三)の金三七万五、〇〇〇円、(四)の金二万五、〇〇〇円及びこれらに対する本件事故発生の日の後である本訴状送達の日の翌日である昭和四三年七月一七日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分については正当としてこれを認容し、その余は失当として各棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 井野三郎)

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